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 マリンメッセ福岡で開催されていたGPファイナルで、浅田真央はタイトルを守り、2年連続、4度目の優勝を果たした。今シーズンを最後に引退すると宣言した浅田にとって、この大会はおそらく最後のGPファイナルとなる。
 「初めてこの大会に出たのは、まだ15歳の時でした。この7年間、早かったです」
 浅田真央はそう言うと、目元をゆるめた。試合が終わってほっとしたのだろう、もともと優しげな顔の表情が、さらにリラックスして見える。
「気がついたら私が一番年上」と浅田真央。
 五輪出場の資格年齢ニューバランス ランニングシューズにまだ達していなかった2005年12月、浅田真央はトリノ五輪金メダリスト候補だったイリナ?スルツカヤを破って優勝し、関係者たちを大いに慌てさせた。
 だがその8年後、今度は自分が若手たちの挑戦を受ける立場となった。
 GPファイナルに進出したのは浅田と、米国のアシュリー?ワグナー、そして4人のロシアのティーンエイジャーたちだった。中でもエレナ?ラジオノワはまだ14歳でソチ五輪に出場する年齢に達していない。
 「この大会では、気がついたら私が一番年上でした」と笑う浅田。いつまでもあどけなさが残っていると思っていたが、こうしてティーンエイジャーたちと並ぶと、存在感も貫禄もまるで違う。いつの間にか落ち着いた、大人の女性になっていた。
ためらいも見せずに挑んだ2度目の3アクセル。
 SP「ノクターン」は素晴らしい出来だった。
 3アクセルは回転不足の判定だったものの、ジャンプは全体を通して軸が細くきれいに保たれ、勢いがあった。演技を終えると目を潤ませ、会見では「今シーズン最高の出来」と口にした。
 フリーでは、久しぶりに3アクニューバランス 574セルに2度挑むことを宣言して、名前が呼ばれてから制限時間の1分間をギリギリまで使ってから、リンクの中央でぴたりと静止して開始のポーズをとった。
 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」のメロディが始まり、最初の3アクセルに挑むも転倒。2つ目のジャンプはルッツに変えるだろうか――という予想をみごとに裏切り、浅田はためらう様子も見せずに、そのまま2度目の3アクセルを踏みきった。回転不足で着氷が両足になったものの、流れを崩すことはなかった。
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日本がグループリーグ最終戦で対戦するコロンビア。グループC、FIFAランキング最上位国(4位)の注目選手は、何といってもストライカーのファルカオ(モナコ)だろう。2部リーグのクラブではあったが、13歳と4ヵ月でプロデビューを果たし、その後アルゼンチンのリーベルプレートへ移籍しユースで実力を磨いた。 2004年からトップチームに昇格し、5年間で45得点を挙げてヨーロッパへはばたく。
ポルトとアトレティコ?マドリードでは、それぞれ1試合平均0.83と0.77という驚異の得点率でゴールを量産し、チームをリーグやカップ戦の優勝に導いた。今回の南米予選でも9得点をマークしランキング3位。しかも彼のゴールは試合を左右するような貴重なものが多く、ここ一番の勝負強さを誇るチームの大黒柱といえる。しかしコロンビアを98年フランス大会以来のW杯出場に導いた最大の功労者は、監督のペケルマンだ。彼はアルゼンチンのユース代表を率いて3度世界チャンピオンとなり、A代表の監督として06年ドイツ大会にも出場している。  南米予選序盤で1分け2敗とつまずいたコロンビアは、彼に白羽の矢を立てて口説きに口説いた。ペケルマンは「代表監督になると、アルゼンチンと戦うことになるかもしれないので」という理由で20以上の国からのオファーを断ってきた。だが、熱意ある説得と、選手時代にプレイしたコロンビアが気に入っていたため、第5節から監督に就任することになった。  規律とメンタルの強化によるチーム改造は功を奏し、13試合で9勝2分け2敗という好成績を残した。勝ち点率(1試合平均の獲得勝ち点)は2.23で、これは予選1位突破のアルゼンチンの2.00を上回っている。もし彼が初めから指揮を執っていれば、コロンビアが南米1位になっていたかもしれない。
 日本にとって運が悪いのは、ペケルマンが日本代表のことをよく知っていることだ。彼はコロンビア代表監督になるまで、カタールのテレビ局アルジャジーラの解説者だった。そのため、日本が優勝した2011年のアジアカップでザックジャパンを目の当たりにしている。ニューバランス スニーカーそれも通り一遍の見方ではない。大会が地元カタールでの開催だったので、アルジャジーラは総力を注いで取材し、ペケルマンも分かりやすく解説するため、各チームを徹底的に分析した。優勝までした日本は、丸裸に近い状態にされたはずだ。
 あれから時が経ち、日本も進化しているが、本質は変わっていないので、明らかに不利な状況といえる。抽選会後、ペケルマンは、「日本は高いレベルのチームで、W杯の常連だ。コートジボワールは若手世代だったすぐれた選手たちが経験を積み、アフリカで最も強いチームのひとつ。W杯に出てきたときのギリシャは、いつもタフなチームだ。フィジカルが強く、戦術もハードだ」と語り、グループCを「困難なグループだ」と評した。だが、その困難さは、コロンビアと戦わなければならない日本の比ではないだろう。  選手に戻ると、日本がファルカオ以外にも警戒しなければならないのは、コロンビアの英雄バルデラマが「私の後継者だ」と太鼓判を押した攻撃的MFのロドリゲス(ASモナコ)。天才肌のテクニシャンだがパスセンスも高い。ファルカオとは所属クラブが同じで息も合っている。2トップの一角グティエレス(リーベルプレート)は、試合やクラブ内でトラブルを連発する問題児。その性格と同様、プレイスタイルも動物的で、さながら小型バロテッリ。日本の選手があまり対戦することのないタイプなので、戸惑うとことが多いだろう。
 そしてもうひとり忘れてならないのは、右SBのスニガ(ナポリ)。豊富な運動量で自陣から駆け上がり正確なクロスを配給し、ときには切り込んでシュートも放つ。彼のオーバーラップはコロンビアの重要な攻撃パターンだ。  コロンビアは、意味のないような2~3メートルのパスを多用してボールをキープし、これに相手は焦らされる。そしてカウンターが鋭い。ニューバランス レディース自陣でパスを回し、相手全体を前がかりにさせる。そして一度奪われたボールを奪い返し(味方が近いので可能となる)、高速のカウンターでファルカオに届ける。日本がグループリーグ最終戦に勝たなければいけない状況であれば、コロンビアはこの作戦を多用するだろう。  ファルカオへの経由点となるのは、やや左サイドに位置するロドリゲス。日本はこれを潰したい。となるとキーマンは、いざとなれば反則をしてでも止めなければならないボランチの長谷部誠になる。また通常の攻撃では、浮き駒のように右サイドで神出鬼没のプレイを見せるスニガの存在が大きい。長友佑都と同サイドになるので、彼らによるSB合戦が見どころでもあり、その攻防は試合の行方をも左右しかねない。
花粉症対策として、乳酸菌を摂取することが10年ほど前から注目されているが、そんな中でも、近年、注目を集めているのが、乳酸菌の一つ「Enterococcus faecalis」(フェカリス菌)だ。今年3月1日には、伊藤園の中央研究所より新たな研究成果が発表され、この菌が“スギ花粉に対する症状緩和効果を発揮する”ということが分かった。
乳酸菌とは、糖を分解して乳酸を生産する細菌の総称。アレルギーを緩和する作用を持ち、花粉症や鼻アレルギー、アトピー性皮膚炎の発症予防などに効果があると多くの研究論文で発表されている。しかし、ひと口に乳酸菌といっても、200種類以上が存在するともいわれており、アレルギーに対しての効果も様々。そんな中で、人間の体内から抽出して加熱処理を行い、乾燥させた乳酸球菌?フェカリス菌に対し、期待が高まっているという。何と、3月1日には、伊藤園の中央研究所より「フェカリス菌を含有する乳性飲料が、スギ花粉に対する症状緩和効果を発揮する」という、スギ花粉症患者にとっては嬉しいニューバランス996研究発表が行われたのだ。巷では“乳酸菌は腸内まで生きて届かせること”が重要視される中で、この研究成果では、「フェカリス菌は、加熱殺菌した状態であるにも関わらず症状緩和効果を発揮する」ということが発表され、従来の研究成果と大きく異なるところが注目されている。
今回、伊藤園の中央研究所は、NPO日本健康増進支援機構の花粉曝露試験施設を用いて、フェカリス菌でスギ花粉による花粉症の症状がどの程度変化するかを、スギ花粉症患者20人を対象に測定した。患者には、フェカリス菌含有乳性飲料(1本200ml当たりフェカリス菌1000億個含有)を、毎日1本、2ヶ月間飲用してもらうことに。飲用開始前及び飲用後のスギ花粉に対する自覚症状、試験後5日間の自覚症状を、「鼻かみ回数」「鼻づまり」「日常生活の支障度」「眼のかゆみ」「流涙」「眠気」などの項目で評価した。すると、「鼻かみ回数」「眼のかゆみ」は、飲用前と比較して飲用後に有意な差が認められ、「鼻づまり」「流涙」では、飲用前後で改善傾向あり、試験後5日間は、「日常生活の支障度」「眼のかゆみ」「流涙」「眠気」で飲用前と比較して飲用後で有意な差が認められ、「くしゃみ回数」「鼻づまり」では、改善傾向ありということが分かった。 同試験の結果により、フェカリス菌含有乳性製品を毎日摂取すれば、花粉症の症状緩和に役立つこと、さらにその効果は飲用を止めても数日間続くことが判明。「フェカリス菌は、菌体が小さいため、1000億個単位で摂取するなど、一度に多くの菌を摂取するのに適している」と、フェカリス菌の利点をアピールする東京大学名誉教授の光岡知足さんは、「過去の研究では、ニューバランス1400殺菌フェカリス菌の摂取前に比べて、摂取後は便通や便性が良好に改善された他、腸内のビフィズス菌の占有率が上がり、悪玉菌であるウエルシュ菌が減少しました。殺菌しても効果があるということは、“腸内まで生きて届かせる”ことに配慮しなくても良いということ。すなわち、常温保存した含有製品からでも手軽に乳酸菌を摂取できるということです」と、さらに利便性の高い細菌であることを説明している。飲料であれば、気軽に摂取しやすいフェカリス菌。スギ花粉に悩まされている人は、一度試してみてはいかがだろうか。
日本アルプス地方に於て「登山案内者」という職業的な存在が認められたのは、恐らく今から二十二、三年前からの事だろう。  それ以前のいわゆる日本アルプス探険時代ともいうべき頃の登山者たちは、概 おおむ ね、猟師とか、岩魚 いわな 釣りとか、杣人 そまびと の類か、または、かつて陸地測量部の人夫として働いた事があるというような人を、辛うじて探し出して、頼むべき伴侶とする外はなかったのである。そしてそれらの案内たちは、誠に愛すべき純朴な山人 やまうど であった。指を屈すれば、先ず、上高地の嘉門次、黒部の品右衛門、牧の喜作、中房の類蔵、大町の又吉、等、総ては今は故人となってしまった。品右衛門も、嘉門次も、共にその一生涯を岩魚釣りで過ごして死んでしまった。喜作は大正十一年の二月、爺ヶ岳裏の棒小屋沢に羚羊 かもしか 猟に行ってた時に、雪崩 なだれ の下になって、その息子と、愛犬と一緒に死んだ。皆が、山人らしい死に方でこの世を去ったのだ。  芦峅 あしくら きってのその強力で冬の登山者に取って重宝がられたあの福松も、去年一月の劍のアクシデントで無惨に逝 い ってしまった。  喜作の最後に就いては、当時猟友として行を共にして奇 く しくも生命を助かった上高地の庄吉が詳しく物語ってくれる。ニューバランス ランニングシューズ誰でも上高地を訪ねた人が、もし機会があったなら、彼を訪ねて炉辺に榾火 ほたび を焚 た きながらこの物語を聞いて御覧なさい。相応 ふさわ しい山物語りにホロリとする所があるだろう。その時、半身を雪に圧されて救助隊の来るまでの一昼夜を動かれぬままに観念してすごした苦しさを思い出しながら、沁々 しみじみ と語る。喜作はかすかに、ウーンと うな っただけだった。私は数年前の冬、高瀬の奥で喜作が猿の皮を無雑作に頸 くび に巻き付けた姿で、ニューバランス 574獲物 えもの の羚羊の皮の枠張 わくばり に余念なかった姿を想出 おもいだ して、その最後の「ウーン」といったという断末魔に猿を連想する猟師たちは決して「猿 さる 」と呼ばず「猿公 えんこ 」と呼ぶ迷信があるからかも知れない。
こうしてこのキャリフォルニアン号の発した無電警報、「前方近距離に氷山現る。警戒を要す」は、タイタニック号の無電技師フィリップスが受信しようとする間際に、一船客の電報を打電すべく依頼されたために遂にタイタニック号には伝わらなかったのだ。  これが午後六時二十分。そして五時間後の十一時三十分に、キャリフォルニアン号のセリル?エヴァンス技師は寝に就いた。タイタニック号が氷山との擦過で致命傷を受けたのはその十分後の十一時四十分である。間もなくタイタニック号からは、フィリップスの打ち続けるSOSが火のように放散される。それが、比較的傍を航行しているキャリフォルニアン号に感じない訳はない。事実、キャリフォルニアンの無電機は、直ちにそのタイタニックのSOSを感受して焦げつくような音を立て、火花を散らさん許りなのだが、この十分間に、技師エヴァンスはぐっすり眠りに落ちて、鼻先の受信機が懸命に囁くタイタニックのSOSを灯を慕って、迷い込んで来た羽虫の音ぐらいにしか聞いていなかった。  エヴァンスさえもう十分起きていたら、タイタニックの人はみんな助かったのである。
 が、宵の口に彼は、タイタニック号のフィリップスと無電で喧嘩をしている。
「引っ込め! Keep out!」 「宜し! 勝手にしろ! All right, have it your own way!」  折角親切に、近くに氷山が漂っていることを報せてやろうとするのに、皆まで聞かずに呶鳴りつけられたので、エヴァンスも癪に触っている。何でえ、勝手にしやがれとばかり、寝て終ったのだ。タイタニックの必死のSOSの電波が、音のない悲叫のように充満した無電室で、エヴァンスは朝まで好い気持ちに眠った。  キャリフォルニアン号は、貨物船である。無電技師はエヴァンス一人きりで、彼が寝ている間、同船は聾なのである。  春の初め、北極洋の氷帯に罅が入って、島のような大きな氷原が、その氷の大陸を離れて南へ泳ぎ出す。  毎年のことである。  峨々たる白氷の高山が、暖潮に乗って遠く、欧米二大陸を繋ぐ主要航路附近にまで南下して来るのだ。そして、南風に当たり、陽を溶かした水に削られて形の無くなるところまで、これらの氷山は巨大な群棲動物のような、或いは白亜の多島海のような偉観を呈して浮游する。中には周囲数十哩に達する宛然一大嶋嶼の如きものもあって、しかも、海面上に屹立している部分は左程大きくはなくても、多くは、水面下に想像に絶する広さと厚さを持っているのである。これが潮に押され、漸時に速力を集めて、一国の興廃を担った連合艦隊のような偉容をもって進出し、漂流するのだ。  寒い日が続くと、驚く程南までやって来る。事実、この四月十四日日曜日の朝、タイタニック号の人々が急に低下した温度に気がついたのは、近くに氷山が在ることを示す自然の警告だった。  が、普通氷山に衝突するなどということは、航海の常識から言って鳥渡考えられない。多くの場合、氷山は海面から高く聳えているものである。時として二百呎も水を抜いている。それに昼間や晴夜は勿論、すこし位い暗い晩でも、相当の距離から船橋の見張人に眼に這入らずにはいない白磑々たる色と雄大な形を備えているのだ。実際大西洋の真ん中で氷山に衝突する危険率は、そんなことを考えるだけでも滑稽だというので、保険会社の歩合は百万に対する一の仮定だった。で、早春大西洋を横断する船舶は、屡々氷山見ゆの警報を受信しても、船長は平気で、其の儘の速度で航行を続けるのが常だ。全く、大西洋は広い。船や氷山は――如何に氷山が大きいと言っても――大西洋の大きさに較べればピンの先の何万分の一である。この二つが広い大西洋のまん中で偶然触れ合うということは、それこそ百万に一のチャンスで、先ず無いと言っていい。船長は発着の時間に責任をもって船を預かっているのだ。その船の名誉と会社の信用は、船長に強要して、人力の及ぶ限り、時間表に忠実であることを第一の義務とする。故に船長は、斯ういう場合、その百万に一の危険を冒し、警報を無視してフル?スピイドで進航する。タイタニック号のスミス船長が、其の朝急に異常な寒気が襲来したことによって、経験から、氷山が近いことを感知したに拘わらず、何ら警戒の手段を講ぜずに依然として全速力で航続したのは、些さかも乱暴として叱責さる可き性質のものではなく、恐らく十人の船長のうち九人は、このスミス船長と同じ措置に出たことであろう。そして、その、万善の策を採って衝突を免れ、その為め入港を遅らせた十人に一人の船長があったとしたら、必 きっ と彼は船客の時間を空費し会社の記録を傷つけたものとして非難の的となるに相違ない。と言って、それ程過重にタイム?テイブル厳守を船長に課する会社をも、責めることは出来ないのだ。会社の立場は明らかである。会社は競争によって立っている。言う迄もなく船客の生命財産が第一、次ぎに船の安全だが、この第一位は、需要供給の法則のために何時しか速力尊重の風潮に置き換えられていた。安全も大事だが、それよりも早く着くこと――公衆はスピイドを要求して止まない。公衆はここでも、その本質として飽くなき暴君である。大西洋を渡るのに一月費った時代から、それが半月、一週間――五日という驚異的記録にまでなっても、公衆はまだ満足しない。一日でも半日でも航海の短い船へ客が殺到するのだ。茲に於てか、自然、大西洋横断所要日数の短縮が、主な汽船会社の激烈な競争となりつつある矢先だった。今から思うと、早晩この種の椿事を約束する運命だったと言っていい。  前夜十三日の真夜中から、タイタニックの航路に当って、即かず離れず一つの尨大な氷山が流れて来ていたのだ。群を離れた迷児の氷山だった。長さ七十哩、幅十二哩の長方形、途方もない氷の破片である。
 この、氷の離れ小島――と言うよりも移動する大陸が、前面に待ち構えているとも識らず、タイタニックは一ぱいにスチイムを上げて白波を裂いている。  十四日の日曜は、終日全力を挙げてこの運命の目的地へ急いだ訳だ。午前は一等船客の礼拝、晩餐後、二等船客がサルンに集まって讃美歌を合唱する。  皆聞き慣れた祈祷の文句と歌調を耳に宿して寝に就く。  非道い寒さで、散歩に甲板へ出るどころではなかった。  好奇と感嘆の眼を輝かして、暇に任せて船内隈なく見て廻った船客の誰もが気が付かなかった一つの欠点を、タイタニック号は有っていた。ニューバランス996それは、これだけの船でたった二十の救命艇しか積んでいなかった一事である。しかも、そのうち最大のボウトでさえも、僅かに六十人を収容するに足る大きさだった。が、船客の中に、こんな瑣末なことに注意を払う者のないのに不思議はない。この、絶対に沈まない船タイタニック号こそはそれ自身、一つの巨大な救命艇ではないか。一同、文字通り親舟に乗った気でいる。非常時――そんな言葉は、何人の頭脳をも横切らなかった。尚保証の必要があるなら、タイタニックは二重船底 ダブル?パタム である。防水区壁と分壁の設備は完全以上に完全だ。ほんとから言うと、救命艇など一隻も要らないのだが――実際このタイタニックが救命艇などというものを載んでいることだけで、一部の人の眼には、猫を笑わせるに足る莫迦ばかしいことに映った――タイタニックにボウトなんて不必要な用心、しかし、これも一つの習慣的儀装であろう。単に監督官庁である通商局の検査官を満足させるための、謂わばひとつの形式 レッド?テイプ に過ぎないのだ――そう思って、船の大きな割りにボウト積載数の尠いことなど誰も気に留めなかった。で、タイタニック号は二十隻の救命艇を積んでいた。その全収容能力約一千人である。そして、この処女――同時に最後の――航海の船客は千三百四十八人――一説には前記の如く二千二百一人、少し開きが大き過ぎるが、二つの権威ある記録にこの別べつの数字が載っている――乗組員八百六十人、一朝事あった場合には、この過半数が海底へ消える可く始めから決定されていたのだ。
 が、カアルトンやウホルドルフ?アストリアの最高級ホテルに泊って、誰が安心のために、火事の場合の非常設備などを一応調べてみたりする者があろう。タイタニックは「海のリッツ?カアルトン」である。救命艇のことなんか、船客も乗組員も、てんで念頭になかった。
 十二時二十分前である。前に言ったように、船客の大部分は夢路を辿っていたが、起きていた人々は鳥渡異常な動揺が全船を走ったのを感じた。瞬間エンジンが連動機 ギヤ を外れて飛び上ったような、空虚なショックだった。助かった船客の一人にビイズレイ―― Mr. Beesley ――という人があって、その手記に、「船内は消燈されて、廊下のあちこちに、薄ぼんやりした電燈が汚点一つない白い壁を照らしている。酒場から、ウイスキイ曹達を煽って大声に話す男たちの声が聞えているきりで、しいんとしていました」仲なか絵画的な描写である。「問題の瞬間はただ機関の輪転が一つ滑ったと言ったような、極く軽い上下動でした。私は、 http://www.newbalancejptop.com/船室の鏡台の前でタキシイドを脱ぎかけた時でしたが、踏んでいるマットレスがぐいと持上って、よく船の震動に伴う微かなダンシング?モウションが伝わった丈けです」  それさえ気が付いた人は尠かった。  変だぞ――などと思った者はひとりもない。  が、その時既にタイタニックは、右舷を氷山に触れて、船首から船尾まで一線に切り割かれていたのだ。見るに、他愛なく、まるで紙ナイフが新しい本の頁を撫で開くように――。  甲板に居合せた船員の或る者は、白く光る高山が闇黒から浮かび出て、ほのぼのと闇黒に流れ去るのを見た――それは夢のような一瞥だった。
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