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もしも 。。。
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よき日、よき頃のはなしである。フランスの汽船会社MMの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を食べに行くことが出来たものだった。はじめての時は、フェリックスルセルという船だった。
その碇泊中の船の食堂で、食べたフランス料理の味を、僕は永遠に記念したい。

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「更級日記」は私の少年の日からの愛讀書であつた。いまだ夢多くして、異國の文學にのみ心を奪はれて居つたその頃の私に、或日この古い押し花のにほひのするやうな奧ゆかしい日記の話をしてくだすつたのは松村みね子さんであつた。おそらく、その頃の私に忘れられがちな古い日本の女の姿をも見失はしめまいとなすつての事であつたかも知れない。


(しろ)奥深(おくふか)くお(ひめ)さまは()んでいられました。そのお(しろ)はもう(ふる)い、石垣(いしがき)などがところどころ(くず)れていましたけれど、()(ぐち)には(おお)きな(いか)めしい(もん)があって、だれでも(ゆる)しがなくては、(はい)ることも、また()ることもできませんでした。
 お(しろ)は、さびしいところにありました。にぎやかな(まち)()るに。

 

なぜこんな風になつたか、その原因をひと口に云ふのはむつかしいけれども、つまりは現在が芸術の開花に適しない社会的情勢にあることをまづ考へなければなるまい。そのうへ、演劇は特に近代企業として様々な矛盾する面を含んでゐて、その点、映画の生産と普及に押され勝ちであり、且、純粋芸術としての発展進化のうへでは、一定文化。


「戯曲家は生れながら戯曲家である」といふやうなことも云はれるが、しかしまた、戯曲家が戯曲家たる動機は、小説家が小説家たり、詩人が詩人たる動機と決して異つたものであるとは云へないのであつて、少くとも今日までの歴史を通じてみれば、多くの例が、その点について興味のある事実を語つてゐるのである。

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