製炭小屋
宮沢賢治
もろの崖より たゆみなく
朽ち石まろぶ 黒夜谷
鳴きどよもせば 慈悲心鳥(じふいち)の
われにはつらき 睡りかな
榾組み直し ものおもひ
ものうちおもひ 榾組みて
はやくも東 谷のはて
雲にも朱の 色立ちぬ
青春
宮本百合子
青春の微妙なおもしろさは、その真只中にいるときは誰しもそれを、後で思い出のなかでまとめるような形ではっきり自覚しないまま、刻々を精一杯によろこ び、悲しみながら生きてゆくところにあるのではないだろうか。人間の精神のなかで青春というものの在りようもまたおもしろく微妙で、あながち年の若さとい うことにだけ、根をおいているのでもないらしいのも興味ふかいところだと思う。中年と呼ばれる時代のなかにはらまれている青春。老年のなかにも不思議に蔵 されていて輝く青春。そういうものもあることがわかる。そして、そういう青春が生活力として或は創造力として意外につよいもので、人類のよろこびといい得 るような仕事をした人々の生涯は、いつの時期も、それぞれの姿でしかも青春といい得るものを持ちつづけたように見える。若いというだけの青春で終るとすれ ば、それは悲しいものだと自分の身につけても思われるわけであろう。
いろいろなひとが、文学作品のなかで青春を描いているけれども、そういうものがいずれもその苦悩や不如意に苦しむ姿の若々しさという面で青春が語られて いるのは意味ふかく感じられる。漱石の何かの小説のなかに、青春というものは淋しいものだ、という文句があって心にのこっている。それは先生が若い学生に 向っていう言葉だけれど、若い女のひとにとってもそれはあてはまる言葉ではないだろうか。女のひとの方が男よりそういう感情をぼんやりしか感じないのが普 通かも知れないが、自分の十五六歳から後の心持を思い出すと、やっぱりそれを触れたところをもっていると思う。華やぎながら淋しがっている。淋しさのうち に華やぎが底流れているとでもいおうか。
若々しい寂しさについても私たちの時代と今の同じ年ごろの若い女のひとたちとでは、随分ちがって来ているのではないだろうかと思う。私たちの頃は、自然 が体も心も多彩にひろがろう、触れよう、知ろうという欲望に燃え立たせているのに、周囲の習慣はなかなかそれだけのびのびしていなくて、いつも鬱屈するも のがあった。今のひとは、いざとなると同じ埒で阻まれながら、表面の浅い日常では一応自由そうに羽根をのばしている。そこにまた別の寂しさが湧いているの ではないだろうか。求める心の寂しさ、ときめきと感じられていたものが、今は何か空虚さの感覚に近づいて来ているのではないだろうか。
生活
なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮らしのやすらかさ
私はこのうたが好きで、毎日この室生(むろう)さんのうたを唱歌のようにうたう。「なににこがれて書くうたぞ」全く、このうたの通り、私はなににこがれているともなく、夜更(ふ)けて、ほとんど毎日机に向っている。そうして、やくざなその日暮らしの小説を書いている。夕御飯が済んで、小さい女中と二人で、油ものは油もの、茶飲み茶碗は茶飲み茶碗と、あれこれと近所の活動写真の話などをしながらかたづけものをして、剪花(きりばな)に水を替えてやっていると、もうその頃はたいてい八時が過ぎている。三ツの夕刊を手にして、二階の書斎へあがって行くと、火鉢の火がおとろえている。炭をつぎ、鉄瓶(てつびん)をかけて、湯のわくあいだ、私は三ツの夕刊に眼をとおすのだ。うちでとっているのは、朝日新聞、日日新聞、読売新聞の三ツで、まず眼をとおすのは、芝居や活動の広告のようなものだ。女の心がある、行ってみたいなと思う。永遠の誓いと云うのがある、みんな観に行きたいと思いながら、その広告が場末(ばすえ)の小舎(こや)にかかるまで行けないでしまうことがたびたびなのだ。
性格批判の問題
豊島与志雄
旅にあって、吾々は、山川の美のみに満足する風流気から、よほど遠くにある。事前には、土地の眺望や快適について、いろいろ気にするけれど、いざ旅に出 てみると、自然そのものの風趣は、吾々の関心の僅かな部分をしか占めない。興味の対象はやはり、人間もしくは人間生活にある。一人旅の、或る場合の佗びし さ、または或る場合の嬉しさは、このことを証明する。――と、こんなことを云えば、ナマグサだと笑われるであろうか。
けれども、偶然、橋の上で語らった女、舟に乗り合した人々、散歩の折に見かけた人家の内部、山奥の掛茶屋で渋茶を飲みあった樵夫……そういうものの面影 は、後になってその旅行のことを考える時には、記憶のなかに薄らいでいて、影絵のような模糊とした映像をしか止めていない。その代りに、当時ぼんやりと看 過したもの、橋の構造やその下の水のせせらぎ、舟べりを打つ水音や四方の景色、田舎町のすすけた軒並、掛茶屋の縁先に展開してる空間と山岳の眺望などが、 まざまざと眼前に浮んでくる。
古人はうまいことを云った、国亡びて山河在りと。故郷のなつかしさは、その人事にはなくて、その山河にある。旅の明瞭な記憶は、旅行中当面の関心事たる その人事にはなくて、看過しがちだったその自然の景色にある。――このことからして私は、凡て追憶的旅行記に対して、人物の記述よりも自然の記述により信 用する。人物の記述は半ば創作であることが多い。
旅行中に得らるるこうした自然の印象は、時がたつにつれて、一種の抽象作用を受けて、益々簡明になってくるようである。それは一の景色以上の景色であり、一の眺望以上の眺望である。現実に何かが加わった――或は差引かれたもので、そして結局はプラスの景色や眺望である。
文学上の読書は、一種の精神的旅行である。ところがこの旅に於ては、記憶のなかに刻みこまるる印象は、何よりも人物のそれが最も深い。殊にすぐれた文学 書であればあるほど、益々そうである。勿論、文学のなかには、自然描写が少いし、益々少くなりつつある。然し自然描写を別としても、或る情緒や、或る情景 や、或る事件の発展などが、読書の最中に吾々の心を惹きつけて、人物には大して関心をもつ余裕を与えないことがある。そういう場合にも、後になって記憶の なかの感銘を探る時には、それらの情緒や情景や事件は、いつしか薄らいでいて、最も強く残っているのは、人物性格のそれである。人物性格が現われていない 作品を、吾々は最も多く忘れ去る。
魚の序文
林芙美子
それだからと云(い)って、僕(ぼく)は彼女(かのじょ)をこましゃくれた女だとは思いたくなかった。
結婚(けっこん)して何日目かに「いったい、君の年はいくつなの」と訊(き)いてみて愕(おどろ)いた事であったが、二十三歳(さい)だと云うのに、まだ肩上(かたあ)げをした長閑(のどか)なところがあった。
――その頃(ころ)、僕達(たち)は郊外(こうがい)の墓場の裏に居を定めていたので、初めの程は二人共妙(みょう)に森閑(しんかん)とした気持ちになって、よく幽霊(ゆうれい)の夢(ゆめ)か何かを見たものだ。
「ねえ、墓場と云うものは案外美しいところなのね」
朝。彼女は一坪(つぼ)ばかりの台所で関西風な芋粥(いもがゆ)をつくりながらこんな事を云った。
「結局、墓場は墓場だけのものさ、別に君の云うほどそんなに美しくもないねえ」
「随分(ずいぶん)あなたは白々(しらじら)としたもの云いをする人だ……そんな事云わぬものだわ」
こうして、背後から彼女の台所姿を見ていると、鼠(ねずみ)のような気がしてならない。だが、彼女は素朴(そぼく)な心から時に、僕にこう云ううたをつくって見せる事があった。
帰ってみたら
誰(だれ)も居なかった
ひっそりした障子(しょうじ)を開けると
片脚(かたあし)の鶴(つる)が
一人でくるくる舞(ま)っていた
坐(すわ)るところがないので
私も片脚の鶴と一緒(いっしょ)に
部屋(へや)の中を舞いながら遊ぶのだ。