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 商工大臣小林一三閣下といえば、僕など三歩さがってお辞儀をしなければならない。 だから然そういう偉い小林さんのことはお預けとしておいて、ざっと三十年もの昔、阪神鉄の社長であった頃のことを書く。 その頃僕は大阪朝日新聞の記者をしていて、前項に書いたように、風見章さんなどと一緒に上福島の下宿屋にコロガッていた。

 その頃の或日、小林さんの経営しておられる宝塚の少女歌劇を見に行った。僕が演芸と文芸とを担任していたからである。案内役は、その頃の小林さんの秘書、今の東宝の重役吉岡重三郎さんであった。 ノンビリした格好で、その頃のスターの雲井浪子の歌舞を見ていると、背広姿の小兵の人が吉岡さんに連れられて現われ、「国枝先生ですか、ようこそ」と云われた。それが小林さんであった。

 ここで註を加えておくが、いかに如才のない小林さんといえども、国枝史郎の人間に対して、先生という敬語を使われたのでは無くて、その肩書の大阪朝日新聞記者に対して使われたのであることは云う迄までも無い。ニューバランス レディース  これが小林さんとの初対面であった。 その後僕は朝日をやめて松竹会社の脚本部員となったが、芝居の空気が僕に会わず退社しようとし、小林さんへ、「何かいい仕事はありませんかな」 と、漠然とした態度で相談すると、漠然とした態度で何やら返事をされた。 ところが数日経った時、小林さんから手紙が来た。見ると、逢いたいから来訪するようにとのことであって、ご丁寧にも阪神電車の切符が同封してあった。 そこで僕はお訪ねした。

「ねえ国枝君、松竹を出るのは考えものだよ、松竹は今でも大したものだが、将来はもっと大したものになるのだから、わがままを起こさずに辛棒しんぼうしたらどうかね」 ――これが小林さんの言葉でつまり小林さんは大多忙の時間を僕のために裂いて、わざわざ僕を訓いましめられたのであった。 小林さんは、それから、じゅんじゅんと訓められた。 僕はポカンとして聞いていた。そうして、小林さんの話の切れた時、「私は昨日松竹の方はやめて了しまったんですがねえ」 と云った。

 その通りだったからである。 小林さんは、これには呆れ返ったらしかった。 でも、怒りもしないで、「そうかね、やめて了ったのかね。それじゃア浪人だね。では、東京へ行った方がいいね。大阪は、浪人に住み心地のよい所では無いのだから――そこへ行くと東京は、浪人の掃溜めのようなもので、大臣の古手なんかウザウザいるからね」 と云われた。 http://www.newbalancejptop.com/  その小林さんもとうとう大臣になられた。いずれは大臣の古手になることであろうが、東京に居られるのであるから、大臣の古手になったところで住み心地はよいに相違ない。  

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